暇人の感想日記

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ランティモスと「英国王室モノ」の悪魔合体作品【女王陛下のお気に入り】感想

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85点

 

 

 『ロブスター』、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』など、寓話性に富み、かなり変わった作品を発表し続け、「ギリシャの変態」と呼ばれた男、ヨルゴス・ランティモス。彼が次に挑んだのは、まさかの英国王室モノ。ハリウッドでは定番となっている題材ですが、まぁランティモスですから。ギリシャの変態ですから。普通の英国王室モノなわけがない。アカデミー賞にも9部門にノミネートされていることだし、この組み合わせが一体どんな悪魔合体を見せてくれるのか、興味があり鑑賞しました。

 

 

 ランティモス監督は、これまで非常に寓話性に富んだ映画を作ってきました。本作でもそれは発揮されているらしく、パンフレットによれば、どうやら18世紀の話なのに、劇中の言葉使いや、俳優の所作など時代劇的なものではなく、現代的なものにしたそうです。故に、本作では、「時代は18世紀だけど、中の人たちは現代的」という非常に特殊な状態になっているらしいのです。らしいと書いたのは、監督がパンフでそう言っているからで、私にはそこの違いはイマイチよく分かってないからです。何かすいませんね。ただ、演出が完全に「現代的」かと言えばそうでもないのがミソで、撮影方法がキューブリックの『バリー・リンドン』と同じ方法を用いています。これはつまり、撮影に極力人工的な明かりを使わず、ロウソクと自然光のみで撮るというもの。なので、画面の雰囲気は英国王室モノっぽくなっているのです。このような特殊な状態により、舞台の寓話性は高まっていると思います。

 

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 また、舞台は宮殿からほとんど動かないのですが、広角レンズやウィップ・パンを使用することで、窮屈さを全く感じませんでしたね。これも寓話性を高めている要素だと思います。

 

 では、本作がどういう寓話かというと、アン女王に気に入られ、権力を手にするのは誰かという「戦争」です。この王室という戦場からは遠くかけ離れている場所でこのような「戦争」が起こること自体が皮肉に満ちていますね。そして、この権力闘争を、非常にブラックな笑いを誘う作りにしています。

 

 この「戦争」をするのは2人。アン女王の幼馴染で、女官長のサラと、没落貴族のアビゲイル。サラはアン女王を精神的、性的に支配しており、アビゲイルは上り詰めるためにアン女王に近づきます。最初こそ、没落し、それこそ地べたを這っていたアビゲイルがどんどん地位を高めていくという成り上がりもの的要素があり、サラが障壁に見え、アビゲイルを応援していました。ですが、この女はやり方が本当にえげつないので、ストーリー展開の巧みさもあり、だんだんとサラに感情移入するようになっていきます。

 

 サラとアビゲイルの中心にいるアン女王ですが、最初こそその傍若無人ぶりに辟易していたのですが、この人もストーリーが進むにつれて印象が変わり、最後には非常に悲しい存在として映り、何だか感情移入してしまいます。病気がちで、17人もの子供に先立たれ、政治的には自分は置物としての価値しかないと分かっており、心を許せる人はサラだけ。でもそのサラも自分を自由にはしてくれない。これは誰でも精神的におかしくなりますよ。

 

 最終的にアン女王は自分を甘やかしてくれるアビゲイルを選んでしまうのですが、この後のアビゲイルの堕落っぷりと、そこからのラストシーンは強烈でした。アン女王は、最も信頼していた人を失いました。権力闘争の末、アビゲイルは権力を得ました。ですが、彼女はラストシーンそのままに、アン女王という権力に「押さえつけられ」ます。翻って、闘争に負けたサラは追放されたものの、自由を得ました。代わりに、彼女も大切な人を失いました。こう考えると誰も幸せになっていませんが、強いて言うなら、サラは自由を得たのかなぁと思います。おそらく、アビゲイルは籠の中のウサギのように、一生アン女王に飼いならされるのでしょうから。

 

  このように、本作は英国王室モノでありながら、現代的な要素を入れて寓話性を高めた作品になっていて、一筋縄ではいきません。さすがは変態。鑑賞後は非常にやるせない気持ちになりますが、良い映画だと思いますよ。