暇人の感想日記

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2018年春アニメ感想⑧【ルパン三世 PART5】感想

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 国民的な人気を誇るTVアニメシリーズ『ルパン三世』。そのTVアニメとしては5作目となる作品。これまで4度TVアニメ化されていますが、2シリーズ続けてジャケットの色が同じなのは初。

 

 前作PART4は、ストーリーは1本の軸がありながらも、基本はバリエーションに富んだ話を1話完結でやるという、非常にオーソドックスなアニメ版『ルパン三世』だったと思います。

 

 では、本作PART5はどうかというと、基本的には「カッコよさ」に重きを置いたルパンでした。脚本が『コードギアス 反逆のルルーシュ』の大河内一楼さんであるためか、過去作と比較しても、かなり高度な頭脳戦をやっています。

 

 アニメ版の『ルパン三世』という作品はPART1こそ大人向けとしてラストの大どんでん返しや1話の中で二転三転する展開がありましたが、子供向けにシフトしたPART2がフォーマットになってからはコミカルな面が目立ち、展開が1本調子な話が多くなり、近年量産されていたTVSPも、基本はその延長で、一部の良作を除けば、ルパンは勢いで行動し、頭脳戦は全く描かれませんでした。

 

 私はこの点が不満で仕方がなかったので、本作のルパンは最高でした。ちゃんと考えて行動してくれるし、敵の裏の裏をかくため、見ていてとてもカッコいいのです。

 

 ただ、これはPART5の基本ジャケット、青ジャケのときです。PART5の特徴として、1話完結のエピソードでは、各話毎にジャケットの色が変わる回があるのです。そして、細かいなと思うのは、色が変わる回は、その色を象徴するシリーズのテイストになっているのです。例えば、PART3のピンクジャケのときはコメディタッチ、お馴染みPART2の赤ジャケのときはオーソドックスなルパン、そしてPART1の緑ジャケのときはミステリ仕立てで、ルブランの『ルパン』ネタがあったり、全体的に渋い出来、といった具合です。

 

 『ルパン』はジャケットの色も色々ですが、それ以上にファン1人1人の中に理想の「ルパン」像が出来上がってきました。原作から50年、TVアニメPART1から47年経っているからなのですが、単純に考えるだけでも、上記のジャケットごとのルパンや、原作の『ルパン』、そして『カリオストロの城』に代表される宮崎ルパンなど、多彩なルパンがいます。

 

 このように、多彩なルパンがいますが、それらは時代に合わせて作られてきたもので、肝心の「ルパン三世」そのものは極めて抽象的、若しくは概念のようになってしまった気がします。それぞれの「ルパン三世」があり、どれもが「ルパン三世」なのです。しかしそれは裏を返せば、「ルパン三世」に明確な輪郭が無いということになります。「ルパン三世」はいつの時代にも当たり前のように存在し、時代に自然と適応して活躍してきました。本作PART5の最大の特徴は、これまで「当たり前」として存在してきた「ルパン三世」を、過去の彼の活躍を全てを包括し、且つもう一度定義し直している点です。その一環としての各話毎のジャケット変更だったのです。

 

 しかし、思えばこれは1話冒頭から示されていました。各劇場版のルパンが映されているアレです。これを始めとして、本作中には過去作の映像がそのまま使われています。そして、今では割と忘れられている設定(五エ門がルパンを殺そうとしていたこととか)が出てきますし、過去作の設定も頻出します。本作はこのファンサービスを楽しめるというのも面白い点ですね。

 

 こうした伏線の上に、本作は全ての「ルパン三世」を肯定します。それが終盤のあのシーンです。あれは原作の設定の流用だということは周知の事実です。しかし、本作では、別の意味を持ちます。「本物のルパンは誰も知らない」。つまりこれは、あのマスクの下に、どんな顔も当てはめて良い、ということに繋がります。これによって、これまでの全ての「ルパン三世」は肯定されたのです。

 

 また、作中で「ルパンにとっての自分は」と求めるのがご存知峰不二子と、オリジナルヒロイン、アミです。ぶっちゃけ、不二子に関してはあそこまでルパンとの関係をハッキリされるのは勘弁してほしかったのですが、本作における彼女はいつもルパンといる存在であり、その対照として、我々と視点を同じくしている人物としてアミがいます。アミにとっては、ルパンは遠くで見ている存在であり、英雄なのです。これは視聴者の視点と同じだと思います。本作は、こういう視聴者目線のルパンをも再定義していると思います。

 

 そしてこれによって、「ルパン三世ルパン三世であるための条件」はPART1の有名なあの台詞のみとなりました。

 

 「俺の名はルパン三世。ま、自分で言うのもなんだけど、狙った獲物は必ず奪う神出鬼没の大泥棒。それがこの俺。ルパン三世だ。」

 

 これが、ルパン三世なのです。

 

 そんな過去の集積である彼らが挑むのは最新テクノロジーであるSNS「ヒトログ」。ルパンたちはこれを彼ららしく、正攻法で打ち破ります。これはこれまでを肯定し、さらに未来へと続いていくことを示していると思います。

 

 以上のように、本作は全てのルパンを包括し、そしてそれをさらに未来に進めたとても意欲的でな作品でした。最終話「ルパンよ永遠に」のように、これからも、永遠にルパンは存在し続けるのでしょう。これを宣言しただけでも、本作は素晴らしい作品だったと思います。