暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

2018年冬アニメ感想①【ダーリン・イン・ザ・フランキス】

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 トリガーとA-1Pictures共同制作の作品。監督は『THE IDOLM@STER』の錦織敦史さん。『THE IDOLM@STER』において、見事な群像劇を見せてくれた錦織さんですが、そんな彼が今度はガイナックスの系譜をひくロボットアニメを監督する。この組み合わせがどのような化学反応を生むのかと興味をそそられ、視聴しました。

 結論から書くと、とても面白かったです。トリガーの色が存分に出たアクションシーンはもちろんですが、それに思春期の少年少女の成長を上手く絡ませていて、トリガーと錦織さんの強みが存分に活かされた作品だったなと思います。

 

 1話から作品の世界観に放り込まれます。いきなりバンバン出てくる作品用語、唐突に始まる謎の敵との戦い、そして主人公とヒロインの搭乗からのロボットアクション。勢いがあって面白かったのですが、1話が終わった時点では、頭の中に?マークが出てきます。それらの設定は2話以降徐々に明かされていきます。ここから判明するのは、本作の主人公たちは、普段はプランテーションという箱庭で暮らし、「コドモ」として番号で呼ばれ、「オトナ」のために叫竜なる敵と戦っていること。そして彼らには、叫竜と戦う以上の知識を与えられておらず、「オトナのために戦う」ことが彼らにとっての全てだということです。

 

 中盤に明らかにされるオトナの生活は、無機質なものです。他のコドモもオトナのように無機質な感じなキャラが多いです。ですが、主人公が所属する13部隊は違います。彼らは個別の自我を有しているのです。その差は名前。名前があることで自我が芽生えているのです。他のコドモは無機質です。これは大人によって自由を奪われ、抑圧されている子供という構図なのでしょうし、本作はそこからのコドモの飛翔を描きます。そのためか、本作には至る所に「鳥」のモチーフが入ります。

 

 本作の「オトナがコドモの意志を奪い戦わせる」設定は、あるアニメを彷彿とさせます。ガイナックス制作の名作『新世紀エヴァンゲリオン』です。本作はこういった設定が非常に似通っています。叫竜は視聴者から使徒だと散々言われていたし、私もそう思うし、フランクスの操縦席とか、スーツとか、ビジュアル的にも似てる。極めつけは19話「人ならざるモノたち」。完全に「ネルフ、誕生」でした。しかも、その後の20話で明かされる真実も、「使徒は元々地球にいたアダムの子」という設定に似ている気がしないでもないような。ただ、この「敵だと思っていたものが敵ではなかった」展開は、どちらかといえば『トップをねらえ!2』っぽさを感じました。つまり、どちらにせよ、本作は、過去のガイナックス作品の要素を盛り込んでいるわけですね。

 

 そして、本作のロボ、フランクスについても特異な設定が明らかになります。男女が二人一組で操縦席に座り、機体に同調するのですが、その姿は完全にセックス。この形態を知ると、この互いの「相性」も恋愛のメタファーのように思えます。そしてこう考えると、それぞれのコンビの性格が分かってきます。それは大きく分けて2つで、1つは自然体で上手くいってるコンビ(ゾロメとミク)、2つ目は表面上で上手く合わせられているコンビ(ミツルとイクノ)。機体の設定がこれですから、フランクスの性能上、この心情や関係性の変化がアクションに直結しています。4話の心を解放し、思いっきり戦うストレリチア等、こういった爽快感あるアクションを以て、心情を表現してくれます。

 

 番号だけの存在だったコドモが固有名詞を持ち、他人と触れ合うことで自我を獲得し、オトナに反発して自立する。これは思春期に特有の現象であり、誰もが通ってきた道です。しかも、それだけに終わらず、最後に未来へ進んでいくコドモの姿も描いています。本作はこれをSF的な設定を使ってやってのけているのです。最終話「わたしを離さないで」で、最終決戦と並行して、地球の営みを同じくらい力を入れて描いていた点は本当に素晴らしいと思いました。こういった「思春期の子供の群像劇」的な要素は、錦織さんだからこそ、ここまで存分に描けたのだろうと思います。

 

 このように、本作は、トリガーが得意とする躍動感あるロボアクションを全力でやりつつ、それを少年少女が大人に抗い、自我を獲得する群像劇と上手くマッチさせた作品なのです。各回も手抜き回が一切なく、毎回濃密な演出と作画も楽しめるため、非常に楽しんで見ることができました。