暇人の感想日記

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監督の妄想が炸裂したとても変な作品【未来のミライ】感想

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50点

 

はじめに

 『バケモノの子』以来、実に3年ぶりとなる細田守最新作。予告からは、甘えん坊のくんちゃんが、未来からやってきたミライちゃんと共に時空を超えた旅をして成長する話という印象を受けました。しかし、実際に観てみると、その内容は細田守監督の妄想が入り混じったホームビデオであり、それを98分間延々と見せられたのですから観客としては堪ったものではありません。

 

4歳児のアイデンティティ

 本作はオムニバス的に話が進みます。甘えん坊のくんちゃんが何かを”好きくない”となり、庭へ出るとファンタジーが展開されるというものです。それは都合4回起こり、犬、母親の昔の話、ひいじいじの話とどんどん過去へルーツを遡って行って、そして、最後に自身のアイデンティティの話になるのです。これらは過去の話でありながら、現在、くんちゃんに起こっている事と微妙にリンクしていて、くんちゃんの成長に繋がっていくエピソードもあります。多分、細田監督は、自分の子どもが何かができるようになった時のことを基に、妄想を付け加えて脚本を書いたのだろうなぁ。

 

 そして、これらのルーツを経験した後で、「東京駅」で迷子(=自分のアイデンティティを失う)となり、自分の力で「ミライちゃんのお兄ちゃん」というアイデンティティを得るのです。これは要するに、過去の親族の力を得て「今」の子どもであるくんちゃんが成長するということですから、ラストの「過去の人々の奇跡が折り重なって今の自分がある」という台詞をそのまま体現しています。

 

 こう考えてみると、本作は4歳の子どもが自身のルーツを遡って行った先にアイデンティティを得る話と言えると思います。ただ、ここにあるのは、細田守監督の相変わらずな血縁至上主義な家族像。庭の木はおそらく血縁の隠喩でしょうし、くんちゃんが出会い、成長するきっかけは皆親族。まぁ、これは4歳児が主人公という設定上、仕方がないのかもしれません。4歳児の世界など、保育園と家族くらいですから。ですが、最後の「自身のアイデンティティの確立」が「未来ちゃんのお兄ちゃん」という結論はどうなんでしょうね。これは、同じくカンヌで上映された『万引き家族』とは対照的であり、家族の概念が変わってきている今、これは中々に保守的な結論である気がしないでもないです。後は、相変わらずの金銭感覚の異常さですね。意図的なのか・・・な?

 

ホームビデオ

 これだけを読むと、保守的ではあれど、ストーリー的には問題が無いと思われるかもしれません。しかし、実際に観てみるとそのストーリーの中身に波が全くなく、特に、最初の雛飾りを仕舞うというくだりが壊滅的に詰まらない。ハラハラしないし、笑えもしない。また、映画全体も、話の筋よりかは「どうくんちゃんを活き活きと描くか」に注力しています。そして内容は「くんちゃんの成長の話」。つまり、本作はくんちゃんが世界をどう感じ、成長していく様が「細田監督の妄想で」描かれているのです。これではまるで「くんちゃんのホームビデオ」です。

 

 何故、このようなホームビデオになったのかと言えば、これこそが細田監督の今回の「疑問」だからだと思います。映画秘宝」のインタビューによれば、彼は特に『サマーウォーズ』以降、自身の悩みを作品に反映させてきました。「父親になれるのか」という悩みを『バケモノの子』に、「母親は自分をどう育てたのだろう」という疑問を『おおかみこどもの雨と雪』に、といった具合にです。そして、本作の疑問は「子どもは何を考えているのだろう」です。それを4歳の子に託しているのです。故に、こんな大して脈絡のない妄想映画になったのだと思います。

 

集大成?

 また、本作には、これまでの細田監督の要素が多々見受けられます。「父親になろうとする」くんちゃんのお父さんは、『バケモノの子』を、「母親になろうとする」くんちゃんのお母さんは『おおかみこどもの雨と雪』を、「血縁者が自らの力となる」ことは『サマーウォーズ』を、そしてラストのアレは「未来で待ってる」と言った『時をかける少女』を彷彿とさせます。故に、本作は『サマーウォーズ』以降、悩みを消化してきた監督の集大成的な作品とも言えます。

 

本作の問題点

 このように、細田監督は「作家」としては全く衰えておらず、むしろこれまで一番細田監督の色が前面に出ています。本作の問題点は、この監督の暴走を止められる人間がスタッフにいなかったことです。

 

 今でこそジブリに代わって東宝の夏休みを任されるほどの作家となった細田さんですが、作っている作品は大衆向け娯楽作ではなく、上述のように作家性の強いアート系作品で、『ONE PIECE』すら自身の作品に変えてしまっています。しかし、それでも多くの観客を動員し、一定の成績を出せたのは、脚本家が間に立っていたためだと思うのです。細田監督は『おおかみこどもの雨と雪』までは脚本を別の方に任せ、やや微妙な『バケモノの子』でも協力として他の人が入っていました。これにより、作家性が上手く中和されていたのだと思います。

 

 ですが、本作の脚本は細田監督1人。だからストッパーがおらず、こんな自己満足の塊みたいな映画ができたのだと思います。ただ、だからこそそこに一貫性が見えて、嫌いにはなれないのですが。

 

良かった点

 ここまで、微妙だった点を書きましたが、良かったところもいくつか。まず、「くんちゃんとミライちゃんの動き」についてはさすがの一言で、本物の子どものようです。だから、この動きだけで画面に引き付けられ、観ていられます。細田監督はインタビューで、「アニメには本当の意味での赤ちゃんがいない」と言っていましたが、本作のミライちゃんやくんちゃんの動きは、「本物」と見間違うくらいの素晴らしいものでした。

 

 さらに面白いと思ったのは、空間と時間の使い方です。「家の中で物語が進行する」という性質を活かすため、変わった構造の家を作ることで、くんちゃんの移動に面白味が出ています。そして、同ポの画面を入れることで季節感を出したり、それがラストで繋がってきます。こういう演出力はやっぱりさすがだなと。

 

おわりに

 本作は変な映画です。これを観て得をするのは、細田守自身くらいだと思います。間違っても夏休みのファミリー向け大作映画ではありません(まぁ元々そうなんだけど)。ただ、細田守を作家として追っていく場合、本作は必見の1本だと思います。

 

 

 細田守監督の代表的な作品。これは素晴らしい作品だと思います。

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