暇人の感想日記

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良質な大河ドラマに匹敵する面白さ。【銀河英雄伝説(旧作OVA版)】感想

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 日本アニメの歴史にその名を残す傑作アニメ。このブログでは、過去に劇場版2作(『我が征くは星の大海』、『新たなる戦いの序曲』)の感想をアップしてきました。今回は本伝の感想になります。劇場版は尺の問題もあり、局地的な戦いにクローズアップしていました。しかし、この本伝は連続シリーズということで、『銀河英雄伝説』の膨大な設定とキャラを見事に描き、「架空のSF史劇」として非常に面白い作品になっています。

 

 全話視聴して、まず驚くのが作中の歴史の説得力。私は歴史にはあまり精通していないため、第40話「ユリアンの旅 人類の旅」などで語られる人類の歴史が、実在の歴史と妙にシンクロして見えます。まぁ、色々と「どういうことなんだ?」な点はあると思いますけど。

 

 本作で語られる歴史は、『機動戦士ガンダム』と『スター・ウォーズ』を足して2で割った感じです。ですが、本作の場合はニュータイプやフォースといったSFチックな設定は出てこず、あくまで現実的な「民主主義と専制君主制の興亡」を中心に描いています。故に、本作の歴史上の出来事は現実の歴史を基にしたであろう内容が結構出てきます。さらに屋良有作さんの落ち着いたナレーションも相まって、独裁者ルドルフが生まれる過程や、理想を持った民主主義やゴールデンバウム王朝が堕落していくさまが非常にリアルに感じられ、史実を基にした良質な大河ドラマを見ている気分になります。

 

 さらに本作が優れている点は、本作が「人類の歴史は螺旋階段である」ことをきちんと描いていることです。雑に本編の展開を追ってみると、本作以前の歴史は、ルドルフの独裁に抵抗した共和主義者たちがゴールデンバウム王朝を脱出。そして自由惑星同盟を作り、以後ずっと戦争状態を続けているというもの。一方、本編ではどうかと言えば、ヤン・ウェンリー一派は、民主主義の種を残すためにローエングラム王朝を離れ、イゼルローンに立て籠もります。この2つは、どう見ても意図的なシンクロでしょう。

 

 しかし、同じことを繰り返すだけではなく、きちんと上っていくことも示唆されています。立て籠もるまでは同じでしたが、彼らはローエングラム王朝ときちんと対話し、王朝の中に民主主義の種を残すことに成功するのです。これは、ずっと戦争状態だった過去と比べれば大きな進歩です。ここから、人類は同じ事を繰り返しながらちょっとずつ進歩していくしかないこと、そして、その「進歩」には多大な犠牲を伴ってしまうことが示されます。

 

 ここまで書くと、SFにする意味があまりない気もしますが、私はむしろ歴史が今と地続きであるが故に、SFという要素を一旦置くことでフィクション感を増大させることに成功しているというか、このおかげでゴールデンバウム王朝のあの時代錯誤甚だしい感じや、自由惑星同盟の今より若干進歩した感じに説得力を持たせられていたのではないでしょうか。後は、こうすることで、今の時代と少し切り離して考えられる寓意性みたいなものもできた気がしないでもない。

 

 この完成度の高い歴史ドラマをさらに面白く、深くしているのが膨大なキャラクター。あまりに多くのキャラが出てくるため、声優を1人1キャラクター毎に当てたら現役の声優が起用できなくなってしまったのは有名な話です。

 

 本作のメインテーマは民主共和制と専制君主制というイデオロギーの対立だと思っているのですが(違ったらすみません)、描かれているのは国家ではなく、個々のキャラクターです。ほとんどのキャラに厚みがあり、思想を体現させています。最も分かりやすいのがラインハルト・フォン・ローエングラムヤン・ウェンリーの2人。この2人は、それぞれの思想を体現した存在です。

 

 まず、ラインハルトはよく言われるように、完璧超人です。戦略・戦術の双方に長け、カリスマ性を有し、政治的取引もし、個人の戦闘能力も高い。さらには人間としての器も良くできており、およそ駄目なところが無い。

 

 しかし、彼には対等な「友」と呼べる人間がキルヒアイス1人しかいません。後の人物は、ミッターマイヤーやロイエンタールでさえ、「友」ではなく、「臣下」です。つまり、彼は唯一絶対の存在であり、「理想的な専制君主」を体現した存在と言えます。

 

 対して、ヤン・ウェンリーは全く逆の人物として描かれています。キャゼルヌから「首から下はいらない」と毒舌を吐かれるように、戦術立案・実行能力に抜群に秀でているだけで、権謀術中も巡らせないし、戦闘力も無い。さらに好きな歴史についても、学者レベルとは言えないし、果ては家の中もユリアンがいなければゴミ屋敷など、控えめに言っても駄目人間です。彼にとっては皮肉ですが、戦争が無ければ、彼は野垂れ死んでいてもおかしくはありません。

 

 しかし、彼には妙な人望があり、人が集まってきます。それらの人間をヤンは、「部下」でも「臣下」でもなく、「家族」または「友」と呼びます。そして彼らは、様々なエキスパートです。キャゼルヌは事務処理能力に秀でていますし、アッテンボローは艦隊指揮能力、シェーンコップは陸戦に秀でています。ヤンは、自分では何も持っていない代わりに、彼らに助けてもらっているのです。だからこそ、彼亡き後も、彼の遺志を継いだユリアンがトップになることで、組織を維持できるのです。これは彼らが言う民主制を体現していると思います。

 

 このように、主人公2人だけでも語れる本作ですが、周りのキャラも負けないくらい強い個性を放っています。そして例外なく、多面的なのです。例えば、作中屈指の悪役であるトリューニヒト。民主主義が生んだ怪物ですが、妙に魅力的なのです。「悪」として。彼に関して興味深いのが、退場方法です。結局、彼はロイエンタールによって射殺されるという民主主義とは最も遠い方法で退場しました。民主主義というシステムでは彼は倒せなかったことを考えると、実に皮肉な結末です。終盤で明らかにされる事実も相まって、民主主義の1つの限界を感じさせてくれるキャラです。後はラングとか、オーベルシュタインとかですね。これが作品全体に俯瞰的な視点を作り、上述の「大河ドラマ感」を高めています。

 

 本作は上記のように、どちらの陣営にも過度によることなく、どちらにも正義や考えがあることを描いています。民主主義に対しても、できるだけ客観的に描いていると思います。そもそも本作のことの発端は、堕落した民主主義なのですから。では専制君主制の方がいいのか?と問われれば、それにも「否」と答えています。確かにラインハルトの様な人物が統治していればいい。しかし、もしその有能な統治者が死んでしまったら?今度はゴールデンバウム王朝に逆戻りです。そうならないために、民主制のような国民が権力者を抑えるシステムを用意しておくことが必要なのです。しかしそのためには、国民が責任を持たなければならないのでしょうね。それを忘れたから、本作で人は大量の犠牲を払わなければならなかったのだから。・・・って、何でこんなこと書いてんだ。

 

 結論としては、110話という長い話数が全く苦痛にならない傑作だと思います。むしろこの長さのおかげで史劇感が増していると思う。

 

 過去にあげた、劇場版の感想です。

inosuken.hatenablog.com

 

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