暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

2018年冬アニメ【ダーリン・イン・ザ・フランキス】1~4話感想

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 A1Pictures、TRIGGERが共同制作したロボットアニメ。この異色の組み合わせのロボットアニメならば、気にならないはずはなく、鑑賞しました。今回も感想まとめて書きます。

 見始めて覚えるのはとてつもない既視感です。設定が古今東西のロボットアニメの要素を継ぎ接ぎしたものとしか思えないのです。TRIGGERが作っているからか、一番近いと感じるのが新世紀エヴァンゲリオン。エントリープラグとか、プラグスーツとか、主人公たちが謎の外敵「叫竜」と戦うために育成されたとか、叫竜が使徒のようだとか。また、同じTORIGGER制作故か、『天元突破グレンラガン』『キルラキル』も彷彿とさせます。このように、嫌でも類似点に気づきます。

 では本作は過去のアニメの二番煎じなのかと言えばそんなことはないかなと思います。他の要素をよく見ていくと、本作の面白い側面が見えてきます。

  まず、主人公たちについて。彼らは「パパ」と呼ばれる存在によって、叫竜と戦うためだけに育てられた存在で、「パラサイト」と呼ばれています。彼らにとっては、フランクスに乗って叫竜と戦う事のみが存在意義です。彼らには個別の名前が無く、ナンバーで呼ばれています。それ故に、それ以外は何も知らないのです。いわば空っぽの存在。

 また、世界そのものも人類統治機関があったり、「プランテーション」などという隔離施設があったり、ディストピアのようです。つまり、主人公たちは徹底的に管理されている存在と言えます。

 次に、フランクスについて。この機体は男女が「つながる」ことでしか操縦できません。そして搭乗の仕方が、露骨な性的暗喩となっています。まぁこれでコミカライズで矢吹健太郎先生が起用されたのか分かりましたが。最初は「何の悪ふざけだ!岡田麿里か!」と思ったのですが、どうやらそうでもなく、物語的な必然性があるようです。というのは、「つながる」というキーワードですね。

 本作のキャラは主人公やゼロツーを始めとして、孤独を感じています。主人公たち「パラサイト」は道具として消費されています。しかし、フランクスを通して、他者と「つながる」、つまり関わることを感じ始めるのです。セックスなんてつながることの究極系みたいなものだし、あれは一種のコミュニケーションでもあるとも思いますし。この性的暗喩によって、話が先に挙げた岡田麿里脚本みたいな展開になるのが面白いですね。

 後はエンディングの歌詞ですね。これも大人の抑圧から自由になろうとする子供を歌ったものでした。

 これらの要素を総合すると、本作は徹底的に管理された社会の中で、「パラサイト=寄生虫」と言われる、空っぽな主人公たちが、他者とのつながりを通して1個人の「人間」としての自我を確立していく話になるのかなぁと勝手に考えています。だとすればこれは紛れもない「親離れする子供の話」と言えるかもしれません。