暇人の感想日記

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【パーティーで女の子に話しかけるには】感想:ちょっと変わったボーイ・ミーツ・ガール

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80点

 

 予告を観て面白そうだったので鑑賞。その独特の設定と突飛な展開で賛否あるらしいですが、私にとっては非常に面白い作品でした。というのも、映画として突飛でも、内容的にはエンとザンの純然たるボーイ・ミーツ・ガールだったからです。白状すると最後少し泣きました。

 先にも書きましたが、本作は設定が突飛です。しかし、その1つ1つの設定にはきちんとした意味があり、最終的にはそれが1つになって感動を呼びます。

 まず、宇宙人であるザン。彼らの風習はシュールですらありますが、我々が生きている世界のグロテスクなメタファーともなっています。彼女が生きている共同体は全体主義的な集団で、決まった秩序でがんじがらめになって生きています。

 そんな「秩序」に縛られたザンが出会ったのはパンクにはまる少年、エン。私は知識が浅いのですが、パンクとは当時の鬱屈し、社会に反抗的だった若者に熱狂的に支持され、その音楽性自体も既存のものに縛られないものだったそう。共同体の秩序に違和感を抱いていたザンが「既存のものに縛られない」パンクに興味を持ったのは分かる気がします。

 2人は互いに交流を深めていくのですが、終盤、宇宙人のある思想が明らかになります。それは、「親が子を食う」というもの。理由は「種の緩やかな絶滅のため」なぜそのようなことをするのかといえば、過去の教訓が基なのだという。彼らはその教訓から、子どもたちがむやみに繁殖したらまた争いがおき、資源を使い果たしてしまう。それを防ぐために子を食って間引きをしているのだという。

 これは実社会のメタファーとして見れます。我々の社会でも、上の世代の責任が下の世代に押し付けられ、結果として理不尽な被害に遭う。宇宙人たちは全く同じことをしています。

 これを聞いたエンは、その考えを真っ向から否定します。「ふざけんな」と。「親の世代とか関係ない。俺は生きる。無茶苦茶しても生きる。そして、親が壊してしまったものも直す」まさに反抗的な「パンク」な思想だと思います。

 本作にはこのように、「親」の影響が強いです。ザンは書いた通りですし、エンは幼いころに「パンクだった」父に捨てられています。ここには全体的に漂う「親の世代の責任の転嫁」がある気がします。

 ラスト、パンクに憧れていたエンは、反抗していた大人になりました。そして、成り行きとはいえ、子どもたちに自分が親にされたことと同じことをしてしまいました。故に、最後に彼らが来るシーンでは非常に感動します。

 ここまで、アナーキーな思想を書いてきましたが、そもそも本作は恋愛映画です。タイトルが直球すぎです。思春期の男子にとって、見知らぬ女子は宇宙人みたいなものです。そして女の子と付き合って色々と学ぶんです。ラストでエンが友人にアドバイスしますが、そういうことです。元は別々の存在なんです。それが分かるようになった点で、彼は成長したのでしょう。そして、2人を引き裂く「大人」に反抗します。これは立派なボーイ・ミーツ・ガールです。

 ただ、癖が強すぎるので人を選ぶ作品なのも事実。中盤の文字通り「合体」シーンのサイケデリックな感じとか、後は繰り替えし書いてますが、突飛な展開とかです。でも、それ自体が本作のパンク的な、アナーキーで何者にも縛られない感じがして、とてもいいですね。

 このように本作は、変な映画ですが、同時に、観終わった後は「アナーキーに生きろ」という秩序に縛られた我々からしたら何かエールをもらったような気分になれる作品でした。