暇人の感想日記

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【アイアンマン3】感想:彼はアイアンマン

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78点

 

 「アイアンマン3部作」の最終作。1作目が「アイアンマンになるまでの話」で、2作目が(アベンジャーズのブリッジ的役割だったとはいえ)、アイアンマンの成長の話でした。そして本作は、トニー・スタークが「アイアンマンとしてのアイデンティティを確立させる話」だったと思います。

 アイアンマンは少し変わったヒーローで、他のヒーローが何かしらの特殊能力を自分自身に備えているのに対し、トニー・スターク個人には特にこれといった能力がありません。代わりに能力満載のアイアンマン・スーツを着て戦うのです。本作ではこれが重要な要素になっていると思います。つまり、「アイアンマンは、トニー・スタークの外側にいる」ということです。ローズのように、スーツさえ着れば、誰でもなれる可能性があります。本作はこの「アイアンマンの精神」を、トニーの内に内面化させる話だと思います。

 本作でトニーは精神的に不安定で、そして色々と失います。まぁそれが自分の失態だということは置いとくとして、頼みの綱のアイアンマン・スーツですら使えなくなります。そんな中で不死身の軍団と戦わなくてはいけないわけです。さぁ大変。

 スーツはない。道具も不足、精神は不安定。そして満身創痍。そんな彼ですが、子どもとの交流を通し、ある決定的な真実に辿り着きます。それは「自分は技術者だ」ということです。そして自分で武器を作り、敵地に殴り込むわけです。ここら辺はもう完全に「アイアンマン」ではないですね。監督の趣味趣向が反映されているのでしょうか。

 ここまで、あまりスーツの出番はありません。あってもトニーは着ていません。しかし、最終決戦で、ここまで溜めに溜めてきたものを一気に爆発させています。アイアンマン・スーツの大盤振る舞いです。いや、あんなの出されたら納得させられちゃいますよ。とにかくここでスーツは暴れまくるわけですが、肝心のトニーが着用するスーツはどうかというと、ラスボスとの一騎打ちで、非常にトリッキーな使い方をされます。ここでも、「スーツに頼らず、己の力で戦う」というスタンスが出ていたと思います。

 何もかも失いながらも、自らの足で立ち、進みべき道を見つけたトニー。そして彼はこう言います。「私はアイアンマン」と。これは1作目と対比されているのは明白です。1作目は「私がアイアンマンだ」でした。本作では、「が」が「は」になっています。正にトニーがアイアンマンの精神を内面化した瞬間です。

 確かに脚本は粗いです。突っ込みたいところは多々あります。でも、シリーズものの3作目として、申し分ない作品だったと思います。