暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

【ブレードランナー ファイナル・カット】感想:実存的不安を描いた歴史的SF映画

f:id:inosuken:20171014225214j:plain

 

点数なし

 

 言わずと知れたSF映画の金字塔。前に観たときは正直そこまで良さが分からず、ユニコーンのあたりで寝た記憶があります。しかし、今度続編が公開されるということで、まぁ予習しなきゃ新作は観れんだろと思ったので鑑賞しました。

 前観たときはちんぷんかんぷんで、色々映画を観た今なら少しは良さが分かるかなと思っていました。結論から言うと、分かりました。この映画は、1回観ただけで全てを理解するのは不可能な映画だということが。話は単純なのですが、画面の中に情報が多すぎるのです。リドリー・スコットは「レイアリングをした」と語っているそうです。つまり、様々な情報をぶち込み、重ねていって、映画を作ったそうです。そのせいで、画面に情報が溢れているわけですね。例えば、ガフが折る折り紙。あれは計3回出てきます。1つは鳥。チキン=臆病者?2つ目は勃起した男。これデッカードのことかね。3回目は有名なユニコーンですね。あれはやっぱりお前はレプリカントだってことなのでしょうか。

 前2つは割とどうでもいいですが、問題は最後です。デッカードレプリカントなのか。これはリドリー・スコットが「デッカードレプリカント」と公言しているそうです。レプリカントというのは作中の人造人間みたいなものです。寿命が4年、他の生き物に感情移入できないことを除けば、人間そのものです。特にネクサス6型はこの2点を除けば人間以上の能力を有します。本作は、このレプリカントを通して、「自分は本当に人間なのか」「自分という存在は本当に存在しているのか」という実存的不安を描いたものだと思いました。

 主人公・デッカードという男は、とにかく反応が薄いです。出てきたときは無表情でうどん食ってるし、レプリカント殺しを受けたときも乗り気じゃないし、戦闘中でも無表情。果てはレイチェルとのラブシーンまで。全く盛り上がらない。余談ですが、作中の全体的に死んでいる未来そのものを描いているようです。とにかく、この男は死んでいるようなのです。まるでレプリカントのようです。

 一方、敵方のレプリカント、ロイは違います。いつもニヤニヤ笑ってて、痛みすら感じようとします。別に変態とかではなく、寿命の短いことを悟っている彼には、痛みすら生きている証なのです。彼の目的は自身の創造主・タイレルに会い、寿命を延ばしてもらうこと。

 この「創造主に作られたもの」は、何だか聖書みたいですよね。そこでは人間は神に作られた存在です。レプリカントタイレルという「神」によって作られました。そして自分たちの生まれた意味を探しています。似ていると感じました。

 つまり、この映画は、人間はなぜ生まれ、存在するのかという問いを、「人間だけど死んでいる」デッカードと、「レプリカントだけど生きている」ロイを対比させて描いてるのかなと思いました。

 劇場オリジナル版では、ゴーギャンの作品名を基にしたかのようなナレーションがあります。その作品は「我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処に行くのか」です。要はこういうことなのかな、と思いました。

 ラスト、ユニコーンの折り紙を見たデッカードはレイチェルと共に生きることを誓います。この答えは単純で、自分もロイのように精一杯生きようという決心の表れかなと思います。こういうことは誰にも言えることだと思います。皆、自分が生きる意味など分からない。でも今を生きるしかない。精一杯生きれば、ロイのように満足して死ねるかもしれない。しかし、ひょっとすると、我々はレプリカントのように既に「死んで」いるのかもしれない。そう思えた作品でした。

 なお、点数については、あまりに多くの要素があって把握しきれないので、点数なしとさせていただきました。