暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

心の深淵を巡る旅【アド・アストラ】感想

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78点

 

 

 初ジェームズ・グレイ。当初は観るつもりはなかったのですが、例によってヴェネチア国際映画祭にて大変評判が良かったということと、このような文芸映画っぽい作品が近くのシネコンでかかっていて観やすかったので鑑賞してきました。

 

 予告とポスターと主演から感じ取れる本作の印象は、『インターステラー』のようなSFスペクタクルです。しかし実際に観てみれば、描かれていたのは宇宙の深淵というか、ブラットピット演じるロイの心の深淵であり、2時間近い映画の中でひたすらにロイの個人的な話が続くという、宇宙というスケールの大きさに比して非常に小さな話をやっている作品でした。これは観客の間で評価が割れるのも納得の作品です。

 

 

 本作の主人公、ロイは宇宙飛行士。常に冷静で、心を乱さないエリートです。しかしそれは、内向的で、他者を寄せ付けないATフィールド全開の性格から来ています。つまり、人間として欠陥があるからこそ、彼は優秀な宇宙飛行士たり得ているのです。

 

 本作はこのロイに寄り添って作られています。だから物語は彼の内面のように非常に淡々としています。作中で事件は起こるのですが、常にどこか冷めているのです。あまりにも淡々としているため、私は少しだけ眠くなってしまいました。

 

 本作はこのようなコミュ障ロイが、心の中のわだがまりを解き放ち、人と触れ合うことの大切さを知るまでを描きます。本作において宇宙とは、異星人との出会いとかいうロマンあふれる場所ではなく、ロイの、そして人間の心の深淵そのものとして描かれていると思います。なので、本作における宇宙の旅とは、ロイの心の深淵を巡る旅なのです。そしてどんどん心の闇に入っていき、その究極的な存在としての父に出会います。彼はロイのわだがまりであり、同時にロイがこのままの状況で向かってしまう未来像です。この究極の闇と自らが対峙し、決別することでロイの心の中に光が差し始めます。この点では、本作は王道の「行きて帰りし物語」だと思います。問題はそのスケールが一個人の心の中という非常に小さいものだということですが。

 

 以上のようなことから、本作が賛否を呼んでいるのは分かります。あの予告から期待して観に行った人は、この内容では不満を抱くでしょう。しかし、SF映画を、「個人の内面の物語」という対極的な小さいスケールで描いた本作は面白い内容だなぁと思います。私は本作には肯定的です。眠くなったけど。

 

 

同じく異星人とのファースト・コンタクトもの。

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 まぁ哲学的な映画ということで。

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日本アニメの進化形はここにある?【HELLO WORLD】感想

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87点

 

 

 東宝が制作した、オリジナル・アニメーション。監督は「ソード・アート・オンライン」シリーズの伊藤智彦。脚本は小説家の野崎まど。制作はあの傑作『楽園追放』を生み出したグラフィニカ。私は「S.A.O」にはそこまでハマらなかったですし、野崎まど先生の作品は見たことも読んだこともありません。ですが、何となく気になったことから、記憶の片隅に留めておきました。そして試写会が公開されたら、アニメーション研究家の土居伸彰氏が大絶賛しているのを見て、期待値が急上昇し、鑑賞した次第です。

 

 

 鑑賞してみると、確かに思うところが無いわけではないですが、個人的には素晴らしい作品だと感じました。既存の物語(セカイ系やなろう系)をSFというガジェットを用いてアップデートしている作品だと思いますし、物語にも純粋に感動してしまいました。

 

 本作を観て、まず考えるのは、セカイ系というジャンルについてです。これは簡単に言えば「君と僕」だけの狭い世界だけで物語が進行し、その彼と彼女の悩み、葛藤がそのまま世界の危機に直結するという作品です。このジャンルの主人公は「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジに代表されるように内向的なケースが多いのも特徴です。現在大ヒット中の『天気の子』もこのジャンルに該当します。この『天気の子』は「セカイ系」というジャンルに対してもう1つ進んだ答えを出しました。

 

 本作は、『天気の子』よりもさらに踏み込んで、セカイ系というジャンルを改革した作品だと思います。本作の構造を見てみると、直美という優柔不断な少年が、一行瑠璃という死の運命が待っている少女を救うというもので、直球のセカイ系です。本作はここに多重世界というSF設定を導入して、新海誠監督すら成しえなかった、「世界も女も、皆救う」ことをやっているのです。そしてこのSF設定が物語のツイストになっていて、観客をどんどん惹きこんでくれるのも素晴らしいなと。

 

天気の子

天気の子

 

 

 また、主人公である直美の人物像も現代風にアップデートされていると思いました。直美は優柔不断ですが、自己啓発本を読んで「決断」をしようとするキャラです。ナオミが現れた当初は「最強マニュアル」という「運命」に従うだけでしたが、最終的には自身で「決断」して行動し、自分たちが住む「世界」すら決めてしまいます。これは2000年代初頭のセカイ系主人公が内向的、優柔不断だったことと比較して考えれば、『君の名は。』以降の前向きさが活きているなぁと思います。さらに、自分たちが住む「世界」すら決めてしまうという点では『天気の子』と同じだと思いますが、こちらは「世界」すら救っているんですよね。かなりアクロバティックですが。この点は相当なアップデートではないかと思います。この全てを救済するラストに私は感動しました。

 

 このように、本作はSFガジェットを用いてセカイ系を『天気の子』とは違う角度から更新したと思います。そして、SFガジェットの中に、既存のアニメのジャンルをも落とし込んでいると感じました。直美たちが生きている世界はアルタラという量子記憶装置の中にある「記憶された世界」です。「主人公たちが現実世界ではなく、データ上の存在」というのは、伊藤監督の前作「S.A.O」を彷彿とさせます。また、平凡な主人公がある日超常的な力を得て、それを用いてヒロインを救うという構造は、それこそ数限りない作品群があります。これらにもSFガジェットを導入することでメタ的に無理のないストーリー運びをさせていています。後、能力のためにきちんと特訓をさせているのもポイント高い。

 

 つまり本作は、セカイ系をはじめとする既存のアニメ作品の内容を、中々ゴリゴリのSFでコーティングした立派なSF映画なのです。

 

 また、3DCGを駆使して世界そのものが崩壊してく様(ここは完全に『インセプション』)や、縦横無尽な画面展開を行っていて、映像的にも観ていて楽しかったです。

 

 

 基本的には素晴らしい作品なのですが、言いたいこともあるのも事実です。まずはヒロインです。劇中ではほとんど「救われる」だけの存在であり、彼女自身の意志が結構無視されている気がしました。ただ、ラストで全てがひっくり返る構造にはなっていて、そこまで観ていれば、彼女が直美たちと同じく戦っていたことが明らかになって印象は変わります。ただ、劇中のほとんどがそうでしたし、具体的な描写は無いので、そこまでフォローにはなっていないような。また、アニメアニメした恋愛描写、水着、メイド服などの露骨な「サービスシーン」には辟易しました。

 

 こういった不満点はあるにはありますが、基本的に、本作は好きな作品です。そこまで破綻しておらず、SFも上手く取り込んであってと、十分良作だと思います。

 

 

新海誠、最新作。こっちもセカイ系のアップデート作品でした。

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 似たような関係性がある映画。

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2019年夏アニメ感想④【コップクラフト】

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 「フルメタルパニック!」シリーズの賀東招二先生原作の同名ライトノベルをアニメ化した本作。原作は「海外の小説を賀東先生が翻訳した」という体で書かれている、少し面白い作品です。私は原作の存在は以前から知っていましたが、まぁ例によって読めておらず、このアニメ化を機にどんなものなのか見ておこうと視聴しました。

 

 実際に見てみると、突出した良さはなかったのですが、堅実に作られた作品で、最後まで楽しく見ることができました。

 

 本作は上述のようなやや特異な「設定」を持った作品です。それ故、作品全体の雰囲気も、海外の、特にアメリカの刑事ドラマのような感じのものでした。起こっていることはシリアスなのですが、その中にもしっかりとユーモアやウィットに富んだ会話を入れていて、今のアニメにはあまりない感じです。それこそ2000年代初頭くらいの作品を彷彿とさせます。そしてそこに異世界要素を組み込み、異世界人とアメリカン・コップのバディものとして仕上げています。

 

 「バディもの」とは、1つの事件を通して、人種も価値観も全く違う者同士が協力し合い、絆を深めていく作品群を指します。この点から言えば、本作はまさしく「バディもの」です。過去の経験により異世界人にあまり良い印象を持っていない「人間」ケイ・マトバが、異世界の貴族、ティラナと事件を追っていくうちに人種を越えて絆を深めるのです。本作はこの過程がやや駆け足ながら描かれています。

 

 

 主人公2人のキャラも素晴らしかったです。腕は立つものの皮肉屋なケイと、良いとこの出のお嬢様であり、世の中のことを何も知らないティラナ。2人が互いに認め合い、またお互いを学び合っていく過程は見ていてとても面白い。それが恋愛関係まであまり踏み込まないところもとても良いです。 また、コテコテながら、このバディとしての相互理解が、そのまま異なる人種間の相互理解になっています。

 

 物事の後半は、バディものの要素と、ティラナの成長がメインになってきます。物語の後半は、彼女が人間世界の諸問題やルールを知っていく内容がメインになるのです。この内容にシフトしてからは、ケイが「教える側」になるのも面白いなと。そして、物事の清濁をきちんと知った上で自らの正義を行うという点に落ち着きます。

 

 最後に、アニメーションについて。作画はヤバかったな。本作は「動く」ものではなく、止め絵を多用するものでした。しかし、動くところはしっかりと動き、止め絵もカメラワークにより動いているように見せ、省エネながらも、疾走感あるものにしていたと思います。まぁ少ない予算をセンスでごまかしていたと言われればそれまでですが。もっと予算かけられればより素晴らしい作品になったのになぁ。

 

 つまり本作は、バディものとして、非常にベタな、よく言えば王道の内容になっているのです。そこが面白かったため、楽しむことができました。欲を言えばアニメーションがもっと良ければ良かったなぁ、ってのは無いものねだりですかね。

 

 

 これもある意味バディもの。

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2019年春アニメ感想④【キャロル&チューズデイ】

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 人間がその生活の場を火星にまで伸ばした未来。難民の子、キャロルと、政治家の娘、チューズデイ。彼女らが出会い、音楽を通して絆を深め、成功していく様を描いた作品です。総監督は「カウボーイ・ビバップ」「スペース・ダンディ」等、名作を生み出してきたの渡辺信一郎。音楽にこだわることで有名な彼ですが、今回は遂に、音楽そのものをテーマにした作品を送り出してきました。しかもNetflixと組んで世界に同時配信されます。1ファンである私としては、好きな監督が、Netflixと組み、世界に挑む作品ということで期待値は上がりまくりでした。

 

 しかし、実際に視聴してみると、どこかしっくり来ないというか、イマイチな印象を抱いてしまいました。詰まらなくはないのです。どちらかと言えば面白い。例えるならば、「最高級の食材を使って作ったという料理を食べてみたら、そこら辺のファミレスと味がそんなに変わらなかった」という感じなのです。

 

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (通常版)

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 まず、本作については、音楽は素晴らしかったです。私は音楽には詳しくないのですが、どうも世界でもトップレベルの歌手を起用している模様。なので、ムダに下駄を履かせなくていいのです。本当に素晴らしいのだから。

 

 さらに、「AIが曲を作っている」時代に設定することで、自分たちで曲を作るキャロルとチューズデイ達の「想いを曲に込める」点を強調したりしていました。その対比がアンジェラで、彼女が「自分自身」を取り戻して歌うということが彼女の物語の結末でした。

 

 ただ、肝心要のストーリーがイマイチだと感じました。本作は24話の中で、大きく2部に別れています。キャロルとチューズデイが出会い、絆を深め、デビューするまでの第1部。そして、ガスが毎回冒頭に述べる「奇跡の7分間」に至る第2部です。

 

 イマイチなのは第1部です。1話は素晴らしい出来でした。正反対のキャロルとチューズデイが出会い、これから彼女達の物語が始まるという期待に満ちていました。しかし、それ以降が問題で、ひたすらにグダグダな話が続きます。キャラ紹介も兼ねているのでしょうが、全体から考えると「これいる?」って話が多い。しかもそのくせ、7話くらいからデビューへの道を(割とアッサリと)見つけ、デビューしてしまうのだから余計にそれまでの話が茶番に思えてきます。また、この前半は、2人にとっての壁が「知名度」しかないのも問題だなぁと。

 

 そして、後半は2人が音楽業界で上り詰めるのかと思っていたらそんなことはなく、前半とは違い、急に政治的な要素が濃くなってきます。そして最終的に「音楽が持つ力」の話になるのです。これ事態は今のトランプとか排外的な動きに対するカウンターであり、それを音楽でやろうというのは、要はWe are the worldな訳ですが、それはそれで良い。ただ何というか、前半とやってきたことと解離している気がして、「とってつけた感」が凄いんですよね。一応、キャロルとチューズデイには色々と起こりますが、別にそれが表現に結び付くわけでもないし・・・。

 

TVアニメ「キャロル&チューズデイ」VOCAL COLLECTION Vol.1

TVアニメ「キャロル&チューズデイ」VOCAL COLLECTION Vol.1

 

 

 でも、ラストの「奇跡の7分間」は、トップレベルの歌手を起用し、本当に世界に同時配信して最後に「これからはあなたの物語です」と示すというメタ的な構造になっているわけです。ここには本当に「音楽で世界が変わると良いな」と思ってることが伝わってきて、少しグッときました。とはいえ、これで帳消しにはなりませんけど。

 

 このように、私は色々と気になってしまってそこまで楽しむことができませんでした。ただ、これは過度に期待しすぎたからだと思います。要は「俺の想像と違う!」ってやつですね。素材は良かっただけに、本当に惜しいなぁと思います。

 

 

そのままの自分が、最高にクール【エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ】感想

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91点

 

 

 何でもアメリカの前大統領、バラク・オバマが2018年のベストに選んだという本作。私はオバマは別にいいのですが、本作の高い評判は前から入ってきていまして。雰囲気的に同じような感じの『レディ・バード』も素晴らしかったので楽しめるんじゃないかと思い、鑑賞しました。

 

 結果、娘どころか結婚すらしていないのに大泣きしました。『レディ・バード』は本作と同じく思春期の女子の話でした。違う点は、『レディ・バード』が母親との話だったのに対し、本作は父親との話であることです。本作のMVPは間違いなくこの親父。本作は「父と娘の物語」として、本当に素晴らしいのです。本作の監督は男性とのことなので、この違いは監督の性別から来ているのではないのかなと思います。なので、『レディ・バード』とセットで観れば、両親の気持ちが分かるかもしれないです。

 

 

 エイス・グレードとは、中等教育最後の学年。日本で言えば、中3です。本作は、見た目が地味で、「イケてない」女子中学生ケイラが、そんな自分を変えようと奮闘する姿を描きます。

 

 まずこのケイラが素晴らしいんです。「イケてない」という設定ですが、本当にそう。体系はややぽっちゃり気味だし、口下手だし、趣味もマイナーなもの。彼女が精一杯背伸びをしている姿は実に微笑ましく、そして同時に痛々しい。頑張ってイケている奴らのパーティに参加してみても馴染めなくてぼっちになるし、1歩踏み出してみても周囲からは奇異の目で見られる。そのくせ周囲の視線を気にして父親からの厚意を「ウザい」として邪険に扱ってしまう。そして上手くいかなくて自己嫌悪に陥る。イケてない奴の典型的な無限ループです。

 

 そんな自己評価が極端に低い奴がどこに活路を見出すのかと言えば、現代はSNSなんですね。ケイラはずーっとスマホ見てて親と目を合わせません。まるで、そこでの評価こそが大切と言わんばかりに。さらに彼女はYoutuber活動を始め、自分の理想の存在を演じます。自分が「出来たらいいな」と思っていることを動画を使って、視聴者にアドバイスするのです。

 

 

 しかし、いくらSNSに動画をアップしたからって、自分自身が変わるわけではない。ケイラは常に何か「自分を変えてくれるもの」を求めています。それが「卒業」であり、中盤のハイスクールの生徒なのです。ハイスクールの生徒と言えば、ミドルスクールの身分から見れば十分大人ですよ。でも、そこでも少し怖い思いをしただけで自分は何も変わらなかった。

 

 自己評価が低い奴がここまで自己嫌悪に陥ると、もはや好意すら素直に受け取れなくなる。父親の愛情だって「自分の娘だから贔屓しているんでしょ」と思ってしまう。しかしそこで、SNS上の「いいね」とかではなく、実際の人間から本当に愛されていたと自覚できれば、本当の意味で自己を肯定することができるんです。あの親父との会話のシーンは号泣ものでした。

 

 また、本作は「親目線」の話でもあります。自分とは全く違う環境に生きている子どもに対して、親はどのように接し、向き合うべきなのか。この点も実に上手く描かれています。

 

 今の自分は、昔に思い描いた自分とは程遠いかもしれない。でも、いまそうやって頑張って獲得した自分らしさこそが、最高にクールなんだよと、本作は言っていると思います。思春期の子どもの、自己肯定の獲得までをしっかりと描いた素晴らしい作品でした。

 

 

似たような映画。

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 自分に葛藤し続ける映画。

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2019年夏アニメ感想③【ロード・エルメロイⅡ世の事件簿-魔眼蒐集列車 Grace note-】

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 あの超人気シリーズ「Fate」のスピン・オフ作品。主人公は「Fate/Zero」にて、ライダー/イスカンダルと共に戦ったウェイバー・ベルベット。本作は、彼が亡き師、ケイネス・エルメロイが持っていた「ロード」の名を継ぎ、次々に舞い込む難事件に挑むミステリー作品です。原作は未読。私は「Fate」シリーズにはそこまで愛着はないのですが、2つの点で視聴を決めました。1つは監督と制作会社が「やがて君になる」だった事、そして2つ目は本作が「ミステリ作品」という点です。

 

 特に「ミステリ作品」という点は興味深かったです。「Fate」シリーズの世界観上、ミステリーというのは到底成り立たないと思うから。というのも、本作には、「魔術」の存在があるため。ミステリーというのは、犯人があの手この手で作り出した不可能犯罪を、数少ない情報から探偵が突き崩していくからこそ面白いのです。それは普通の人間が作るからこそ面白いのですが、本作には魔術があります。極端な話、時間差トリックだって密室だってアリバイ作りだって、何だってすることができます。つまり本作には、ミステリ作品の重要な要素の1つ、ハウダニットを作りようがなく、従ってサスペンスが生まれないのです。こう考えたからこそ、寧ろどのような作品なのか興味が湧きました。

 

 

 視聴してみると、上述の私の懸念については、作中で「重要なのはホワイダニットだ」と明言され、解消されます。これには納得はしました。ハウダニットができないならば、「動機」から攻めるというのは、至極自然な流れです。この動機を基準として、残された手がかりからウェイバーが事件を解決していきます。問題はこの解決方法で、謎が明かされるときの解説は基本的に魔術用語が多いためさっぱり内容が分からず、「謎が解けた」というカタルシスがありません。寧ろ、用語が多く出てくるために、解説をされればされるほどクエスチョンマークが増えるという、大変奇妙な体験をさせてくれます。最も、このミステリー感の無さというのは最初から予想はついていたのでそこまでノイズにはなりませんでしたが。一番ミステリっぽかったのは魔眼蒐集列車篇かな。

 

 これ以外に私が本作で特に面白いと感じた点は、時計塔の人間の日常を見れたことです。私は「Fate」シリーズはアニメ版の「無印」、「Zero」、「UBW」と「衛宮さんちの今日のご飯」くらいしか見たことがなかったので、聖杯戦争がメインでないこの世界観の話は新鮮でした。また、随所に挿入されるアクションや、端正な演出も中々良かったです。

 

 全体のストーリーも、ウェイバー・ベルベットという、イスカンダルを追い求めた青年が、ケジメをつけるため、ロード・エルメロイⅡ世になるという堅実な内容になっていて、まとまりも良かったです。2期があればみても良いと思えるくらいには楽しめました。

 

 

公式同人作品。

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 監督前作。こちらも素晴らしかった。

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 FGOのアニメ化作品。こっちは微妙。

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紛れもなくジョーカーの映画であり、ヴィランの映画でもある【ジョーカー】感想

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99点

 

 

 『アクアマン』、『シャザム!』と、DCEUを見直した途端に傑作、秀作を連発するようになったDC映画。現在、MCUとは違う意味で好調になりつつあるDCが放ったのは、あのバットマンの宿敵にして、アメコミのスーパーヴィランの中でも抜きんでた存在感を持つジョーカーのオリジンでした。

 

ジョーカー[新装版] (ShoPro Books)

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 最初にこの企画を聞いたときはそこまで期待はしていませんでした。というのも、ジョーカーという悪役は正体、動機が共に不明であるからこそ最凶の存在なのであり、そこに具体的なオリジンを加えることは彼の神秘性を損ねることになってしまうのではないかと思ったからです(まぁ今にして思えば、ジャック・ニコルソン版はきちんとオリジンあったね)。しかも、監督は『ハングオーバー!』シリーズのトッド・フィリップス。ちょっと待てと。これまで酔っ払いと下ネタの映画しか撮ってこなかった奴がジョーカーを?これこそ一体どんなジョークなのかと思い、期待値はそこまで高くはありませんでした。

 

 しかし、いざ作品が完成してみれば名だたる映画評論家は絶賛しまくり、終いにはヴェネチア国際映画祭にて最高賞金獅子賞を獲得する始末。こうなればそれまで高くはなかった期待値は俄然上昇し、鑑賞しました。

 

 鑑賞し、衝撃を受けました。本作は間違いなく21世紀最大の問題作であり、最大の劇薬です。1人の心優しい青年、アーサーが狂気に満ちた「ジョーカー」へと変わる話です。そこに込められたメッセージは、「誰でもジョーカーになり得る」ということであり、同時に「誰もが誰かをジョーカーにしうる」という2点です。確かに、本作のようにオリジンを描いてしまっては、上述のようにジョーカーの持つ神秘性が薄まってしまうかもしれません。ただ、私は本作は、上記の2点をしっかりと描いたという点で、まごうことなき「ジョーカーの映画」であり、同時に「ヴィランのオリジン」としてふさわしいと思います。

 

 本作について語るうえで、まずはホアキン・フェニックスの話をしたいと思います。元々演技派として名高い彼ですが、本作では彼の存在感が圧倒的であり、所謂「3人のジョーカー」に匹敵、若しくは凌駕するレベルの演技を見せてくれます。本作の成功の要因はこのホアキン力の賜物だと思います。

 

Joker (Original Soundtrack)

Joker (Original Soundtrack)

 

 

 さて、「ジョーカー」とは、言わずと知れたバットマンの宿敵です。彼は正体は公式には不明であり、動機もありません。あるのはただの破壊衝動で、常に愉快犯的に犯罪を楽しんでいます。これが彼の基本的な設定です。

 

 この設定を基にしつつ、映画版では様々なジョーカーが描かれてきました。中でも今回私が注目したいのは、2008年の傑作『ダークナイト』におけるジョーカー(ヒース・レジャー)です。彼はティム・バートン版『バットマン』におけるジョーカー像とは全く違う、完全無欠なサイコパスとしてジョーカーを演じました。あの作品におけるジョーカーとは、「善」である存在を「悪」に堕落させるべく、様々な揺さぶりをかける存在でした。それに堕ちてしまったのが、ハービー・デントでした。本作は、『ダークナイト』でジョーカーがやっていた「悪」への揺さぶりを、映画そのものがやっているのです。

 

 本作は上述の通り、1人のコメディアン志望の青年が「悪」に堕ちるまでを描きます。その描き方が、非常に「共感できる」内容なのです。少なくとも、私にはそうでした。アーサーは、極貧の家庭に育ち、脳に障害があるために周囲から奇異の目で見られています。特に定職もなく、障害を負っている極貧層というのは、社会にとっては存在しないも同じです。作品には、終始不寛容な空気が充満しています。それは冒頭の看板を追いかけるアーサーを、誰も助けようともしないことからも描かれています。この不寛容な空気のもと、アーサーは福祉を断たれ、職も無くし、周囲からは蔑まされ、家族の記憶も嘘だと分かり、最後の最後にすがった彼女との想い出も幻想だと判明し、その果てに凄惨な事件を犯します。つまり本作は、「無敵の人」の映画なのです。

 

 本作の最大の問題点は、この無敵の人に、一種の共感を抱いてしまう点。個人的な感想になりますが、私は電車内での証券マン殺害のとき、マーレー殺害のときに、カタルシスすら感じてしまいました。特にマーレーのときはその前のやりとりが印象的でした。「あの証券マンは良いよな、クズだったが、死んでもウェインが悲しんでくれた。でも、俺が道端で死んでも皆俺を踏みつけるだけだろ?」とアーサーが述べると、それに対し、マーレーは「正論」をぶつけます。「殺人が許されるわけはない」と。それはその通りです。しかし、アーサーのように、社会からはクズ同然の扱いを受けてきた人間からしてみれば、そんな「恵まれた奴ら」が作ったクソみたいな道徳など、全く関係ないのです。だって、自分はそれに護られたことがないから。自分たちを「落伍者」と言った人間達が述べる道徳など、何の意味も無いのです。私はこのように「共感」をしてしまったので、カタルシスを感じました。同時に、終盤で、アーサーが暴徒の象徴として立ち上がったシーンで、「周りにいる暴徒のうち1人がお前なんだぞ」と突き付けられた気もしました。

 

 つまり本作は、アーサーという「無敵の人」に共感させ、「お前の中にも悪はあるんだぞ」と自覚させに来るという、映画そのものが『ダークナイト』のジョーカーのような映画なのです。私はこの点で、本作をまぎれもない「ジョーカーの映画」だと思います。

 

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 ジョーカーと言えば、バットマンとの鏡像関係も有名です。これは同じく法の外にいる身でありながら、一方はコウモリのコスプレをしてビジランテ活動を行う資産家であり、一方はピエロの恰好をして犯罪を犯す悪という構図から来ていると思います。

 

 本作でもこの鏡像関係は別の箇所で描かれています。それが貧富の格差です。ご存知の通り、ブルース・ウェインは資産家の坊ちゃんであり、富裕層です。しかし、本作におけるジョーカー/アーサーは貧困層。2人の間にはあの門のような埋めがたい隔たりがあります。そして、片方が(一応)ヒーローになり、片方が「悪」になってしまうという構図は面白いです。

 

 この問題を考えるにあたって、日本では今年公開された、好対照な映画があります。『スパイダーマン:スパイダー・バース』です。あの作品のマイルズは富裕層ではないにせよ、お金には困らない家庭に生まれ、自身も才能に溢れ、頭も良く、友だちもいる。アーサーからしてみれば、「それ、1つでいいから俺にくれよ!」と言いたくなるくらいのものです。そんな彼は、仲間にも恵まれ、成長し、スパイダーマンという「ヒーロー」になります。これは全てを失くしたからこそ「悪」になってしまったアーサーとは全く対照的です。アーサーのような人間にとっては、このクソみたいにどうしようもない世界で生きていくためには「自分も気を狂わせる」しかないのです。

 

 

 世の中の「正」の面を受け取ったからこそ「ヒーロー」になれたバットマンと、スパイダーマン。そして反対に、世の中の「負」の面ばかり受け取ったために「悪」になってしまったアーサー/ジョーカー。ここからは、人とはキッカケ次第では正義にも悪にもなるということが分かります。そして、ヒーロー映画では描かれても、「ヒーローが成長するためのダークサイド」的な描かれ方しかしなかったこの要素を、ヴィランの物語としてここまで共感できるものとして描いた本作は、これまでのアメコミヒーロー映画が見せてこなかった側面であり、それ故に、本作は「ヴィランの映画」として完成されていると思います。

 

 以上のような点から、私は本作を、「ジョーカーの映画」としても、「ヴィランの映画」としても、素晴らしい作品だと思います。もちろん、映画として最高なのは当然です。

 

 

本作と正反対と思える映画。

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 バットマン映画。ちょっと変わってるけど。

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