暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

誰かの愛に包まれた人生っていいよね。【さよならの朝に約束の花をかざろう】感想

f:id:inosuken:20180405003335j:plain

 

65点

 

 『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』『とらドラ!』『心が叫びたがっているんだ』などで知られる脚本家、岡田麿里。彼女の初監督作。脚本家が監督に転向することは実写だとよくあることです。邦画で有名どころを言えば、宮藤官九郎とか、三谷幸喜が挙げられます。しかし、アニメーションの世界で、しかも女性が脚本家から監督をしたことは、過去に例が無いのではないのでしょうか。しかも、初監督である彼女をサポートするべく集まった人材は、篠原俊哉平松禎史井上俊之といったベテランスタッフ。こんな異例の作品であれば、アニメをそれなりに見る身としては気になるのが性というものです。という事で、初日に鑑賞しました。

 

 驚きました。初監督作として、堂々たるものになっていたからです。内容も、彼女の作品らしい、清濁が入り混じった、愛と人生の話でした。ここで出てくる「愛」は、恋愛や母性愛など、特定の「愛」ではなくて、全てを総括した意味での「愛」だったと思います。

 

 本作の主人公は2人の女性、マキアとレイリア。ここで重要なのが、彼女たちが歳をとらない「イオルフ」であり、「別れの民」と言われていること。歳をとらず、人間とはいずれ死別してしまうから自らをこう呼び、外界との関係を断っています。本作はそんな彼女たちを狂言回しにして、普遍的な「愛」と人間の人生を浮き彫りにしていきます。

 

 本作は、まず人間から強襲を受けたマキアが、人間界に「落ちてくる」ところから始まります。これはまさに神話的な存在が下界に落ちてきたことを意味していると思います。つまり、本作においてマキアとレイリアは神話的な存在なのです。

 

 そんなマキアが拾ったのは同じく独りぼっちだった赤ん坊のエリアルを拾います。個人的にこの時の、母親の指を一本一本折っていくシーンは母親の力強さを示した名場面だと思います。彼女はエリアルを「ヒビオル」とし、育てていくのです。

 

 エリアルはどんどん成長していきます。しかし、マキアは歳をとりません。故に、場所を転々とします。エリアルは成長し、幼少期から思春期を経て、大人として自立していきます。それを駆け足ながらも要所要所で語っていきます。ここで興味深かったのは、マキアも一緒に「母として」成長すること。子どもから教えられることがたくさんあるのです。このことは、私自身も聞いたことがあります。こうして、2人は共に成長していくのです。これは我々の実人生の寓話であることは明白ですね。

 

 一方、「共に成長する」マキアと対照的なのがレイリア。今回の岡田磨里の被害者です。彼女は王宮に幽閉され、「王の母親として」振舞うことを強要され、しかも、「子どもを産むため」にしか必要とされていません。しかも子どもにも会えないし。ちなみに、この時に出てきた王子がキモデブってのは岡田さんらしいなぁと思いました。更に脱線すると、攫われた他のイオルフは一体どうなったのでしょうか。ねぇ?・・・などどいうゲスな勘繰りもできてしまうのです。

 

 そんなこんながあった後、マキアとレイリアは人間界から離れます。しかし、その結末は、それぞれのものでした。

 

 マキアはラストで彼の子どもの出産に立ち会います。彼女が育てた命から、また新たな命が生まれたのですね。これが戦闘シーンと並行して描かれているのは面白いなぁと。対してレイリアはひどい目に遭いましたが、娘と会い、世界を肯定して去ります。

 

 本作はマキアとレイリアの話ですが、同時にエリオルの一生でもあります。彼は普通に生きて、幸せになって死んでいきます。そしてその傍には、常にマキアがいました。いなくても、多分遠くから見守っていたのでしょう。つまり、どんな時も、マキアからの愛に包まれていたのです。人間って、愛されるなら、どこでもその人がいる場所が居場所になるのですね。

 

 このように、本作はマキアとレイリアという神話的存在を使い、人間の一生を浮かび上がらせるとともに、普通は目に見えない「愛」を彼女たちという形として描いた作品だと思います。

 

 ただ、言いたいこともあるのも確か。色々と話しすぎな気がします。その度にストーリー止まってたような。細田守さんが『バケモノの子』と作った時も自分で脚本書いて説明しすぎてたけど、やっぱり監督が脚本も兼任すると、言いたいことがモロに出ちゃうのかな。後、時間経過が少し分かりにくいときがあった気がしたとか、やっぱりラストは泣かせようとしすぎで、少し冷めちゃったとかです。でも、やりたいことは分かったし、初監督作でこれは凄いと思います(何様だ)。

秀逸なリメイク作品【銀河英雄伝説 新たなる戦いの序曲】感想

f:id:inosuken:20180402221819j:plain

 

78点

 

 『銀河英雄伝説』劇場版第3弾にして、OVA版では最終作。内容はOVA版の1話と2話を元に、外伝の内容などを加味したもので、リメイクに近いと思います。ですが、昨今アニメ界で流行りの既存の映像を切り張りし、新規カットを加えて新たに作り直すものではなく、全編新作です。しかも素晴らしいのは、これ1本でちゃんと独立した作品として成立している点です。

 本作は上述の通り、OVAシリーズの1話と2話のリメイクです。しかし、上映時間は90分。2話合計しても約48分くらいですから、単純計算で約40分本編が足されていると考えられます。OVAでは会戦しか描かれなかったため、本作では、そこに至るまでの過程を丁寧に膨らませて語り、のちに起こる悲劇の度合いを十分に高めています。

 帝国陣営はラインハルトがフリードリヒ4世に戦慄したり出征までの宮廷内の駆け引きなどが描かれ、同盟側では主にヤン、ラップ、ジェシカの三角関係が描かれます。中でも白眉は序盤の3人のシークエンス。台詞を一切使わず、あの3人の関係と気持ちを完璧に表現した演出には脱帽です。しかし、故にラップの最期は虚しさが増します。「もしあの時、早く援軍に駆け付けていれば」1話を見た時以上にそう思わせられます。

 この点から考えると、本作は理想的なリメイクと言えると思います。これ1本で完結していますし、何より既に見た人間も楽しめるようにできています。キャラの関係がOVAよりも丁寧に描かれているので、より感情移入がしやすくなるのです。

 作画が凄いとかもう書かなくてもいいよねってくらいの安定の作画力。メカの細かさは異常。とにかく、1回見た人、初めて見る人両方にお勧めできる秀作でした。

観ると腹が減る、犯罪的飯テロ映画【シェフ 三ツ星フードトラック始めました】感想

f:id:inosuken:20180331004836j:plain

 

80点

 

 この世界には、「飯テロ」という言葉があります。主に深夜など、「飯を食べてはいけない」時間帯に発生し、我々の食欲を刺激するという犯罪に等しい行為です。中でも代表的なのはTVドラマ『孤独のグルメ』シリーズ。出てくる料理、そしてそれを食べる井之頭五郎の表情、全てが食欲を刺激します。まさに飯テロ。そしてこの定義から考えると、本作は「飯テロ」映画と言えると思います。出てくる料理全てが美味そうなのです。監督・主演のジョン・ファブローはこのために実際にプロの料理人に料理を習い、技を取得したそうです(EDに少しその様子が映っていましたね)。その成果が見事に出ています。しかし、本作はそれだけではなく、1度どん底に落ちた男がまた這い上がるという誰が観ても楽しめる娯楽作となっていました。

 本作を観て誰もが連想するのは監督・主演のジョン・ファブロー自身のキャリアです。彼はMCU第1作『アイアンマン』を監督し、批評的にも、興行的にも大成功を納めます。そしてその後も大作に関わることになるのですが、そのどれもが成功とは程遠い結果に終わり、批評家からボロカスに叩かれたそうです。確かに、『アイアンマン2』は微妙な出来でしたが、本作を観ると、何とな~く事情を察することができます。ずっと上の方から指示出されてたのね。つまり本作は、ファブロー自身の伝記映画と言えるのです。だから主演もやっているのですね。彼自身の話だから。

 また、本作はロードムービーでもあります。フードトラックでアメリカを横断するのですが、そこで立ち寄った地域の料理を取り入れていくのです。つまり、地域を回れば回るほどレパートリーが増えていくのです。一種の「アメリカグルメの旅」な感じで、アメリカの料理の豊富さを堪能できます。

 さらにこれに加え、本作は主人公が周囲を見つめなおし、欠けていたものを手に入れていく話でもあります。その最たる人物が息子。彼はよく言えば仕事人間で、家庭を顧みない男で、離婚してますし、息子との接し方も分かりません。しかし、この旅で、「料理人」の関係を通して、息子との関係を修復していくのです。しかも、息子がSNSを担当し、店の売り上げに貢献するなど、こういった織り込み方も上手いなぁと。

 本作は息子視点で見ることもできます。そう観ると、彼にとってはひと夏の思い出であり、だからこそ、最後の動画で泣けてきます。

 そうして、本作はこれらの王道要素を『アイアンマン』で見せたあのカラッとした作風で仕上げています。とにかく主人公が前向きで、周囲の人間も彼に協力してくれて、割とトントンと話が進んでいきます。この「まぁ人生、何とかなるっしょ!」な感じは見習いたいもんです。

 このように、本作は上述の王道要素をカラッとした作風で仕上げた、作中登場する料理のように大変旨い作品でした。

「現実の世界」をそのまま切り取った映画【スリー・ビルボード】感想

f:id:inosuken:20180325003437j:plain

 

94点

 

 今月の頭に発表されたアカデミー賞において、最後まで作品賞本命の1つと言われていた作品。その評判の良さは公開前から聞いていまして、2月中に鑑賞していました。しかし、最近どうにも時間が取れず、感想を書くのがこんなに遅くなってしまいました。

 感想として、凄まじい映画でした。観ていくうちに映画の印象が二転、三転どころか四転、五転していき、最終的に映画の内容は観始めたときは全く想像していなかったものになっていました。

 まず本作は、タイトルにもある3枚の看板から始まります。鑑賞後に考えれてみれば、この時点で、作品の根幹である「人間の多面性」がこれらの看板の表裏が映されることによって端的に示されていたのだと思います。

 この後に始まるのは、フランシス・マクドーマンド演じるミルドレッドが、この看板を持っている会社に使用許可を迫るシーン。ここで、自然なやり取りによって事態を観客に把握させる脚本は見事だなぁと思います。これによると、彼女は娘をレイプし、惨殺した犯人を未だに捕まえられない警察に業を煮やしているらしく、ハッパをかけるために看板を使いたいのだとか。最初は、この彼女視点で話が進み、話も「田舎町で腐敗した警察と孤高に戦う」という、どことなく西部劇テイストです。彼女自身も表情を崩さず、常に繋ぎを着ているなど、どことなくクリント・イーストウッドっぽいなぁ、と思っていたら、本人はジョン・ウェインを意識したとか。さいですか。ただ、この彼女の行動も、ある人物たちの見え方が変わるにつれて、どんどん過激に映っていきます。

 その人物の1人がウディ・ハレルソン演じるウィロビー署長。最初こそ作品全体のラスボス感を漂わせている彼ですが、実は末期癌で、捜査についても決して手を抜いていたわけではないことが明らかになります。そして彼の取ったある行動が、さらにある人物を変えていきます。

 それがサム・ロックウェル演じるディクソン。最初こそ差別的で高圧的、最低な奴でしたが、ウィロビーにより、変わっていきます。そして、作中で最も重要な要素である、「対立するのではなく、愛を以て接する」ことを体現する存在となります。また、彼にもある秘密があることが明らかになり、常に高圧的だったのも、それが原因となっていたことも明らかになります。

 このように、本作は主要3人の印象がコロコロと変わっていきます。これによって、我々には、登場人物を型通りの「キャラクター」ではなく、1人の「人間」として見ることができます。そしてそれ故に、何が正義か分からない、というか、決まった正義があるのかも分からない、という混沌が生まれ、まさにこの世界のどこかで起こっていてもおかしくないような話になっているのです。

 このように展開は二転、三転し、最終的には正義の話になるのかなぁと思います。ミルドレッドは以前教会に通っていましたが、事件の後は通うのを止めました。そして、劇中では混沌とした出来事が起こっていますが、事態を打開できるようなことは何も起こりません。むしろ、話が進むにつれてややこしくなり、不条理極まりない。この世に神はいないのか。ラスト、ミルドレッドはとある決断をします。それは本当に正しいのか?この疑問に対し、彼女はこう答えます。「道々考えるわ」。我々はどう考えるのか。それを語りかけてきた気がしました。

 また、恐ろしいのはこの映画、ここまで登場人物の印象をグチャグチャにしているのに、話が全く破綻していないのです。脚本が素晴らしいことがあるでしょうが、この点についてはそれ以上に、役者さんの力量の高さがあるでしょうね。アカデミー賞でも主要なところは獲ったし。

 しかも本作は、それらを非常に高い水準の技術で撮っています。よく言われている長回しもそうですが、画面にも情報が張り巡らされていて、ミルドレッドが看板の下のかざる花とか、ブランコとかですね。つまり本作は、非常に高いクオリティの脚本を一流の役者とスタッフが形にした良作だと言えると思います。

人間と愛。それらに決まった形なんて無い。【シェイプ・オブ・ウォーター】感想

f:id:inosuken:20180322214953j:plain

 

93点

 

 突然ですが、ギレルモ・デル・トロ監督は『美女と野獣』があまり好きではないようです。理由は簡単で、醜い野獣が最終的にイケメンになるから。作品が「大切なのは心の美しさなんだ」とのたまっているため、余計にこのラストに疑問を感じたそうです。

 本作は、彼のそんな気持ちを、昔から好きだったという『大アマゾンの半魚人』をベースにして作り上げたアンチ『美女と野獣』な要素を入れつつ、現代的な多様性を描いた作品になっていました。

 アンチ『美女と野獣』の最たる例はイライザと半魚人。『美女と野獣』のベルは清廉潔白な女性として描かれていますが、本作のイライザはベルのように理想化された存在ではなく、普通の女性として描かれています。失礼ながら、彼女はそこまで「美人」というわけではありませんし、ちゃんと性欲もあります。

 そして本作の野獣にあたる半魚人は、見た目からして結構キテます。外見は怪獣そのものですし、肌もヌルヌルしてそうです。つまり、外見がキモい。中盤でジャイルズが彼と触れた手を汚いものに触ったかのように振るシーンがありますが、そんな行動をとってしまっても何だか納得してしまいます。しかも彼はキスをしてもイケメンになどならないのです。

 しかも彼は、『美女と野獣』の野獣であると同時に、世界全ての「異種」の象徴としても描かれていると思います。故に、本作は愛の物語でありながら、「今」の話になっています。

 本作の話の中心はイライザと半魚人のラブストーリーです。物語も2人と周囲の人間という、狭い世界で展開されます。しかし、彼女たちの「外の世界」では、歴史上に残る悲劇が起こっています。それらは冷戦だったり、部屋のTVに映される黒人差別や、映画館でかかる映画で描かれる奴隷への虐待などで示されます。それは自分たちとは違う「異種」への暴力です。そして、ここにアメリカ政府が半魚人に対して行っていたことが被ります。つまり、本作は、半魚人を通して、当時世界で起こっていたことと同じことを我々に見せているのです。そしてそれは現代にもぴったりとあてはまることだと思います。

 デル・トロ監督は本作をジ・アザーズ(のけ者達)の映画だとしています。彼はパンフレットでモンスターについて、「普通であることに殺される殉教者」と述べています。また、「白か黒かはっきりしろと迫られるのは恐怖だ」とも述べています。つまり、本作は、世間一般でいう「普通」が重要な要素となっています。確かに、登場人物は「普通」ではありません。イライザは喋れませんし、ジャイルズはゲイ、仕事の同僚は黒人です。本作はこのアザーズが「異種」である半魚人を助ける話なのです。

 彼らに敵対するのは、軍人のストリックランド。彼は所謂「強いアメリカ人」を体現しようとしている人物。「トイレで用を足した後に手を洗うやつは軟弱」とか、訳の分からないこと言ってますし、奥さんとのセックスシーンでも、奥さんの口を塞ぐ(相手を黙らせる)とかやってますし。

 彼とイライザの半魚人に対する対応も対照的に描かれます。イライザは半魚人と会った時、まず卵を渡します。そして、手話で「会話」をします。また、イライザの周囲の人間も、半魚人に対して、キモいと思いながらも、何とか理解しようとして、付き合おうとします。対して、ストリックランドや政府が行うのは暴力。コミュニケーションなどせず、まず相手を暴力で押さえつけようとします。

 「強いアメリカ」の象徴が「異種」を理解しようとせず、暴力で押さえつけようとする。現在でもアメリカに限らず、世界中で起こっていることです。

 しかし、彼も「普通」になろうとしている1人の人間なのです。このように、本作は「普通」がもう1つのテーマとなっています。そしてそれはタイトルにも表れています。「シェイプ・オブ・ウォーター」は「水の形」。それは不定形。「愛に形などない」という意味もあります。ですが同時に、人間はいろんな形があっていいのでは、という多様性のメッセージにもつながっていると思います。

 その他の点で素晴らしいと思ったのがミュージカルシーン。ミュージカル映画とは、キャラクターの感情を「踊り」で表現するという非常に映画的な表現です。故に、それまで声を封じられてきたイライザが気持ちを爆発させて踊りだすシーンは、ミュージカルの完璧な使い方だったと思います。

 本作はまさしくおとぎ話です。しかし同時に、監督の気持ちを怪獣に託した真っ当な怪獣映画でもあります。デル・トロ監督は『パシフィック・リム』で本多猪四郎監督に作品を捧げていました。そんな彼が怪獣映画でアカデミー賞を獲ったという事実はとても感慨深いです。おめでとう!

銀河の歴史。その最初の1ページ【銀河英雄伝説 わが征くは星の大海】感想

f:id:inosuken:20180311132450j:plain

 

75点

 

 日本アニメ史に燦然と輝く傑作『銀河英雄伝説』。その初めてのアニメ化作品。本編OVAは全話鑑賞済みです。こちらも早く感想を挙げなくては。で、こちらの感想としては、とても面白かったです。最初のアニメ化だけあって、『銀河英雄伝説』のエッセンスが詰め込まれていて、入門編として最適だと思いました。OVA本編を見た人が見ると、首を傾げるところも無いではないですが、最初のアニメ化だと考えれば納得できると思います。

 さて、私は本作を観て、ある作品を思い出しました。『ルパン三世 パイロットフィルム版』です。まぁ本作は、元々は『銀河英雄伝説』のパイロットフィルムなわけですから、似ているといえば当然なんですよね。どちらの作品にも、作品の基本となる要素を並べてストーリーを作っていて、観た人に作品の基本的な内容を伝えるものになっていました。そのため、登場するキャラはどこか一面的だったり、「こんなこと言うか?」と疑問に思う発言もあったりして、微妙に本編とは違ったキャラになっています。また、本編に出てくるキャラのキャストが一部違っていたり、立ち位置が変わっているキャラもいます。こういうところもパイロットフィルムですね。

 ストーリーは惑星レグニツァ上空の戦い、そして第4次ティアマト会戦を描いています。展開はOVAの1話・2話と酷似しています。あちらが意図的に同じにしたのかな。ここも、本作が入門的作品であるという点です。

 そして、本作の非常に大切な要素「ラインハルトとヤンのスタンスの違い」も、両者を並行して描くことで明解に描いています。ラインハルトは上の圧力を撥ね退け、実力を以て無双する。対してヤンは与えられた条件の中で最適な戦いを展開し、生き残るのです。

 最後に、音楽について。OVA本編では、クラシックが多用され、それが作品の面白さを際立たせるのに一役買っています。しかし、本作におけるボレロの使い方はその中でも群を抜いて素晴らしいと思いました。

 ご存知の通り、ボレロは15分あり、その間、同じメロディを何度も繰り返します。そして、繰り返すごとに徐々に徐々に曲調が高まっていって、最後にはとても激しい音楽になります。これが劇中の最初は穏やかだけど、どんどん戦況が拡大していく様と見事にマッチしています。そして演奏が終了したところで全軍が止まり、ヤンが「静かだ」と言うタイミングも完璧でした。

 このように本作は、60分という丁度いい尺の中で、『銀河英雄伝説』のエッセンスをまとめた、入門編として最適な作品だと思います。

【キノの旅-the Beautiful World-】コミカライズ版の感想と比較

 昨年は『キノの旅』のファンにとって、夢のような年でした。アニメ化、コミカライズといった、ずっと夢見ていたことが次々に実現したからです。アニメは正直、言いたいことがたくさんある出来になってしまいました。それは下の記事に書きましたので、興味と時間のある方はどうぞ。

 

inosuken.hatenablog.com

 

 では、コミカライズはどうかと言うと、「文句なし」の一言です(何様だ)。現在連載されているのは「少年マガジンエッジ」のシオミヤイルカ版、「電撃大王」の郷版の2種類です。このどちらもが、それぞれ味があってとても面白い。どちらも『キノの旅』の世界を完璧に漫画にできていると思います。以下に、それぞれの感想を比較を交えながら書いていきたいと思います。

 

・「郷版」

f:id:inosuken:20180312002450j:plain

 

 電撃大王に連載されている作品です。同じKADOKAWAだからか知りませんが、絵はこちらの方が原作のイラストに近いと思います。

 

 こちらの方で特筆すべきだと思うのは、キャラの躍動感かな、と思っています。コマ内で流線が多用され、「動き」が強調されていると思いました。コマごとに絵がキマッているシオミヤ先生のとは異なっていますね。

 

 そして話のチョイスもこの特徴を生かせるものになっています。要はアクションが映える話ですね。これについては時雨沢先生もコミックナタリーのインタビューで述べています。下にリンク貼っときますね。

 

natalie.mu

 

 このように、絵と動きは非常に良いなと思うのですが、ちょっと気になるのが構成。原作の内容を何とか既定のページ数に収めようとしていて、結構キツキツなんですよね。コマの中に台詞が多くなってしまっていたり、コマとコマの間の展開が急だったりしてます。なので、もう少し余韻が欲しい時に不満を覚えてしまいます。

 

 でも、これはこれで読んでいて面白いので、全然いいです。全体としては、素晴らしいコミカライズだと思います。こちらは話のチョイス的には、ファン向けかな。

 

・「シオミヤイルカ版」

f:id:inosuken:20180312002543j:plain

 

 次はこちら。絵は郷先生のと比べると、やや原作から離れています。しかし、それは慣れればそんなに問題ではないです。たとえ問題に感じたとしても、私はこちらには大満足していたことでしょう。何故なら、こちらはその他の部分が素晴らしすぎるからです。

 

 こちらは上の対談で言及されているように、非常にゆとりをもって書かれています。具体的には、1つの話につき基本2話使われています。これによって、詰め込み過ぎることなく展開ができていて、コマとコマ間の間の取り方が完璧です。そして、コマ割りとか構図も素晴らしく、ゾクッと来るコマが多々あります。例えば、1巻p.132の1コマ目。眼鏡で目を見えなくして、台詞通り「距離をとっている」描写。初めて読んだとき、鳥肌立ちました。この回は全体的に眼鏡が印象的でしたね。他には、「レール上の三人の男」で同じコマ割りと構図を繰り返していたり、本当、贅沢に作られています。アニメもこれだけ贅沢に作ってくれたらなぁ・・・。

 

 また、郷先生の方で書きましたが、コマごとの絵のキマリッぷりは半端じゃないと思います。1コマごとに台詞を補完する背景があったり、アクションでも絵が良いです。頭悪い文章だなぁ・・・。キャラの絵でいえば、モブも素晴らしいですね。特に国民がイッちゃってるときの感じとか。それ以外でも、静かな狂気みたいなものが感じ取れるときもあり、『キノの旅』の世界のモブを本当にそのままコミカライズできています。

 

 後は細かいですけど、こちらは郷版よりもオマケが充実している気がします。表紙は1,2巻は原作の該当巻のオマージュですし、単行本冒頭の「捏造」も楽しんで読んでいます。1,3巻のものは目頭が少し熱くなりました。それ以外にも、時雨沢先生の書き下ろしがもう1本あったりするし。

 

 総じて、こちらも素晴らしいコミカライズだと思います。こちらは初心者の方にもお勧めできますね。

 

・まとめ

 どちらの先生にも特徴があって、コミカライズには恵まれたと思います。どっちも買っていきます。欲を言えば、両先生に同じ話を書いていただき、比較をしてみたいなと思っています。個人的には郷先生が書く「コロシアム」、シオミヤイルカ先生が書く「優しい国」を読みたいです。